無医村であった沢内の深澤晟雄村長が、全国初の乳児死亡“ゼロ”という記録をうみだすまで、村民たちとの奮闘の日々を劇映画にした「いのちの山河」製作のため、7月17日から後期ロケがスタートしました。8月7日まで、西和賀町、北上市煤孫、横手市山内などで撮影しています。
全国に先駆けて10月1日(木)・2日(金)、銀河ホールで有料試写会を開催するそうです。村長・深澤晟雄役に長谷川初範さん、妻・ミキ役にとよた真帆さん、父・深澤晟訓役に加藤剛さん、教育長・太田祖電役に大鶴義丹さん、助役・佐々木吉男役に宍戸開さんという方々です。皆さんも試写会に行ってみませんか……。
2009年7月31日金曜日
『いのちの山河 ~日本の青空Ⅱ~ 』ロケ開催中!
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
18:29
2009年7月30日木曜日
2009年7月27日月曜日
2009年7月24日金曜日
天保無縁塚延命地蔵追善
今から約175年ほど前、江戸時代後期の天保年間、東北地方は長雨や低温などの異常気象に見舞われて凶作が続いたそうです。真夏の7月に霜が降り、盆の13日に綿入れを着て震えながら墓参りをしたほどで秋田藩でも収穫が皆無に近いところがあったそうです。
「沢内年代記」に「山に子を捨て、川に打ち込み、我身ばかり他領に逃れる者限りなし。泣き悲しむ声、山野にかまびすし。その死骸累々と道のちまたに満つはびこり、昔、治承・養和の飢饉、源平両家の合戦、元弘・建武の軍に死する人合わせて見るとても、これに増されり。恐しかりし事共なり」とあるように、その惨状は目を覆うばかりだそうです。このため、西和賀地方の領民多数が「秋田に行けば米がある」という噂をたよりに峠を越え、流浪したそうです。
結局、秋田でも食糧にありつけず、次々に餓死して行ったそうです。田畑を捨て、家族散り散りになって逃れ、力尽きて生き倒れた南部流民の塚が、平鹿地方だけでも六ヶ所以上あるといわれています。
薄井村(現雄物川町薄井)周辺だけでも百十三体もの流民の死骸があり、これをみかねた薄井村の人々が丁重に埋葬し、これを「天保無縁塚」と名付け毎年、7月24日に供養が行われているそうです。
このような飢饉に峠を越え秋田に食糧を求め餓死した人たちを供養してくれている薄井地区の皆様に感謝すると共に御霊を供養する大切な一日です。
天保無縁塚延命地蔵尊170回忌資料から
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
8:37
2009年7月23日木曜日
2009年7月21日火曜日
2009年7月19日日曜日
2009年7月17日金曜日
頻繁に使う言葉って、何でしょうか
このごろ、朝方の天気予報を見て、頻繁に使う言葉があります。それは「昨日より、暑くなりそうだ…」とか「昨日よりしのぎやすいようだ」という言葉です。「より」と言う言葉で落ち込んだり、慰められたりします。今日は、「昨日より、暑くてたいへんです……」でも、喜んでいる生き物もいますよ、ほっとゆだ駅北側の森にいる蝉達は、ただ今喜んで鳴いています。
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
14:21
2009年7月15日水曜日
2009年7月12日日曜日
和賀川錦秋ライン川下り大会
今日は、和賀川錦秋ライン川下り大会でした。
湯本大橋の上から、選手の皆さんを応援したかったのですが、
行けずじまいで残念でした。
選手の皆さん、お疲れさまでした……。
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
19:23
2009年7月10日金曜日
2009年7月8日水曜日
2009年7月7日火曜日
2009年7月4日土曜日
2009年7月3日金曜日
三滝不動明神参拝と女神山登山
7月3日は、下前(したまえ)地区の皆さんが、「白糸の滝」麓にある「三滝不動明神」に参拝し、女神山に登山する日です。「三滝明神」発祥の由来は定かではありませんが、一説によると、南部の姫君が沢内通り回遊の時、下前奥山の景勝を耳にし、里人の案内で奥地探訪したそうです。魔性に戦く旅人の難渋を哀れみ里人の労を救うために、とぐろを巻いた大蛇がいる巨岩の窟に長髪を切り取り、深紅の櫛を供え、乳女爺と共々に「魔性退散と山越えの道中の安全」を祈願したのが、始まりとされているそうです。(下前部落書による)
この思いを後世に受け継いだ行事といえます。これからの季節は、「白糸の滝」をはじめ、「姥滝」「降る滝」などの滝めぐりが良いですよ。マイナスイオンを浴び、リフレッシュしてみませんか……。
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
9:29