2008年8月29日金曜日
成虫クスサン大発生かも!
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
19:03
2008年8月28日木曜日
2008年8月27日水曜日
ミソハギ
緑色の稲穂の中にひときわ目立っているのは、あぜ道に咲いている赤紫色のミソハギです。細長い茎の先端に小さな花がいっぱい付いています。今年はこのミソハギが早く咲いたような気がします。
この名は、花穂に水を含ませて供物に水をかける風習が、禊を連想させるところからミソギハギ(禊萩)と呼ばれ、それが変化したものだという説があるそうです。また、ミゾハギ(溝萩)と呼ぶところもあるそうです。
今から10年程前は、第2和賀川橋梁付近にミソハギが群生していましたが、この頃はひとつも咲いていません。真っ赤な鉄橋の下に草むらが広がり、その中に咲いている赤紫色のミソハギといったらほんとうに素晴らしい光景でした。今では辺り一面、緑色の草むらが広がっているだけです……。
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
19:55
2008年8月23日土曜日
花火大会の帰りは温泉ですよ!
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
11:00
2008年8月21日木曜日
ススキの穂が風にゆれて……
薄紅の 秋桜がきれいだな……と見とれていると、すぐそばには秋の七草、ススキも出てきました。昨年の今頃はまだ蝉が鳴いて暑い日でしたが、今年は二日程前から急に涼しくなってきました。なんとなく今年は秋の訪れが早いような気がします……。
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
21:50
2008年8月20日水曜日
2008年8月19日火曜日
2008年8月16日土曜日
「正岡子規」曽遊の日
今から115年前の明治26年7月19日、俳聖「正岡子規」は東京を出発し、白河、福島、仙台、松島、作並、酒田、本荘、秋田、大曲そして8月16日にこの町に訪れました。
下前で「蜩や夕日の里は見えながら」の名句を残しました。宿泊場所の湯本温泉では「山の温泉や裸の上の天の河」と詠みました。さぞ星空が綺麗だったと感嘆したようです。
翌日は人力車で黒沢尻(北上市)に向いました。杉名畑に至る間は「風光絶佳雅趣掬すべく誠に近國無比の勝地なり」と表現しております。錦秋湖周辺の景色のすばらしさは、今から115年前の正岡子規が既に認めてくれていたことになります。
錦秋湖の紅葉シーズンに正岡子規が訪れていたら、なんと感嘆したことでしょうか……。
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
18:29
2008年8月14日木曜日
2008年8月13日水曜日
太鼓練習始まりました
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
18:54
2008年8月9日土曜日
2008年8月8日金曜日
小澤征爾さんが訪れた日
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
10:12
2008年8月7日木曜日
2008年8月6日水曜日
可愛いトマト見つけました!
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
17:09
2008年8月5日火曜日
変わった野菜見つけました!
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
17:13
2008年8月1日金曜日
孫作地蔵尊供養祭
沢内年代記によると今から269年前の元文4年(1739年)の早春のことです。現在、峠山パークランドオアシス館の東側で竹荒沢に樹齢数百年も経つというけやきの巨木があったそうです。
この木は「ちょうれん玉もく」といい、根元から枝だまで素晴らしい玉もくがあり、お上からも「絶対切ってならぬ」というお達しのありました。しかし、貧窮した生活に困り果てた人々が方々から120名も集まり盗伐したといわれます。この盗伐隊の代表、孫作は34歳で身長は180㎝、背中幅は90㎝という大男でした。
この巨木に斧を入れたところ、四方に飛び散ったくずは翌日には切る前と同じようにすっかりとくっつき、木の切り口からは血のような真っ赤な汁が流れ出し、「神のたたりが恐ろしい」と言い出す人も出てきました。せっかく切っても木くずは元にくっつくので、切るとすばやく火に燃やし一週間かかり切り倒しました。
やがて、盗伐のことが人づたえに新町の代官所に知れてしまい、直ちにお召しとりになりました。孫作はかねてから最悪の事態を予想し、皆に対して「万一盗伐がお上に知れても、私が責任を取るから誰も知らぬ、存ぜぬでとうすこと」と決めていたので孫作だけが捕らえられました。代官所でも「私一人の仕業である」と頑張り通したので孫作だけが打ち首となりました。
この他に秋田方面から人夫として雇われた者が越中畑御番所に通行手形を所持しないことが分かりその責任を問われた御番所頭の猿橋勝左衛門が切腹、また御同心も監視不行届きとして、孫作と共に3人御成敗仰付けられ10月27日に獄門かれられ、7日7夜晒されたといいます。
また同山の山守は春から秋まで手錠、同肝入湯本の伊三兵衛も手錠、湯田の喜左衛門は津軽の田名部に流罪になりました。そこで地区の人たちは孫作がひとりで皆の罪を背負って亡くなった孫作の首を篤く葬り、地蔵様をたてて後世祀ったといいます。
湯田ダム建設と共に水没により、地区民とともに隣の和賀町に移転しましたが、昭和56年2月に20年ぶりに帰り、小繋近の峠山に祀られています。昭和56年9月3日に町の有形文化財に指定されました。
その孫作地蔵供養祭が午後2時から峠山の一里塚近くの「孫作地蔵尊堂」で行われます。
投稿者
西和賀町観光協会
時刻:
11:07