2008年8月29日金曜日

成虫クスサン大発生かも!


 今年の夏は例年にないほど、庭木にクスサンの幼虫がいっぱいいて、それを獲るのにたいへんだった……と話をする人がいました。体調は80㎜もある大型の毛虫ということです。この幼虫は4月~7月の間に出現しているそうで成長すると葉っぱを暴食するそうです。秋になると羽化して飛び回るそうです。
 今朝、湯夢プラザ玄関前で枯葉が落ちていました。もう枯葉になるなんて何の葉っぱかな……とじっと目を凝らして見ると、これがなんとクスサンでした。これからの季節には、夜に灯りを求めてやってきます。そして、その翌朝は枯葉と間違うほどのクスサンの死骸を目の当たりにすることになります。それは決して気持ち良いものではありません……。

2008年8月28日木曜日

秋の空

 真夏のモクモクとした雲は消え、今では箒で掃いたような雲が出ています。空を見ても季節の移ろいを感じます。

 今朝、田んぼのあぜ道にアオサギがいました。首を伸ばしてじっと獲物をねらっている様子でした。目玉をまん丸にし、身じろぎしない様子が面白くて至近距離まで寄って見ていました。でも、アオサギはこちらのことはいっこうに気にしない様子でいました。あのアオサギは何を捕まえたのでしょうか。成功したかな……。

2008年8月27日水曜日

ミソハギ

 緑色の稲穂の中にひときわ目立っているのは、あぜ道に咲いている赤紫色のミソハギです。細長い茎の先端に小さな花がいっぱい付いています。今年はこのミソハギが早く咲いたような気がします。
 この名は、花穂に水を含ませて供物に水をかける風習が、禊を連想させるところからミソギハギ(禊萩)と呼ばれ、それが変化したものだという説があるそうです。また、ミゾハギ(溝萩)と呼ぶところもあるそうです。
 今から10年程前は、第2和賀川橋梁付近にミソハギが群生していましたが、この頃はひとつも咲いていません。真っ赤な鉄橋の下に草むらが広がり、その中に咲いている赤紫色のミソハギといったらほんとうに素晴らしい光景でした。今では辺り一面、緑色の草むらが広がっているだけです……。

2008年8月23日土曜日

花火大会の帰りは温泉ですよ!


 今日は大曲花火大会です。この花火大会は明治43年から始まり、今では数十万人の観光客が押し寄せる大会になったそうです。花火大会終了後は、お風呂に入って汗を流してお帰りできるよう深夜営業している施設がありますのでご利用ください。
①秋田自動車道錦秋湖SAに隣接している峠山パークランドオアシス館      (電話 0197-82-2915)
②国道107号巣郷温泉地内、老人憩いの家「福寿荘」 
      (電話 0197-82-2825)
こちらはレストランとお土産コーナーです。
①国道107号沿い、道の駅錦秋湖(電話 0197-82-2990)

2008年8月21日木曜日

ススキの穂が風にゆれて……

薄紅の 秋桜がきれいだな……と見とれていると、すぐそばには秋の七草、ススキも出てきました。昨年の今頃はまだ蝉が鳴いて暑い日でしたが、今年は二日程前から急に涼しくなってきました。なんとなく今年は秋の訪れが早いような気がします……。

2008年8月20日水曜日

薄紅の秋桜


    道端にある薄紅の秋桜を見て思わず口ずさんでしまいました。
             
          薄紅のコスモスが秋の日の何気ない陽だまりに揺れている……
     

2008年8月19日火曜日

涼しくなりましたね!


2008年8月16日土曜日

「正岡子規」曽遊の日

 今から115年前の明治26年7月19日、俳聖「正岡子規」は東京を出発し、白河、福島、仙台、松島、作並、酒田、本荘、秋田、大曲そして8月16日にこの町に訪れました。
 下前で「蜩や夕日の里は見えながら」の名句を残しました。宿泊場所の湯本温泉では「山の温泉や裸の上の天の河」と詠みました。さぞ星空が綺麗だったと感嘆したようです。
 翌日は人力車で黒沢尻(北上市)に向いました。杉名畑に至る間は「風光絶佳雅趣掬すべく誠に近國無比の勝地なり」と表現しております。錦秋湖周辺の景色のすばらしさは、今から115年前の正岡子規が既に認めてくれていたことになります。
 錦秋湖の紅葉シーズンに正岡子規が訪れていたら、なんと感嘆したことでしょうか……。

2008年8月14日木曜日

雨月


  今日は、一日雨が降っていましたので
  残念ながら今晩は月を愛でることがで
  きません……。
   
   「足元に杉の闇くる雨月かな」
                 竜口幸子句     

2008年8月13日水曜日

太鼓練習始まりました


 昨晩、川尻一区公民館の二階から太鼓の音が聞こえてきました。もう盆踊りかと思っていたら、盆踊り大会の太鼓練習をしていたのでした。「ダダスコ、ダダスコダン」という太鼓の音を聞くと何故か胸がきゅんとなります。一年の月日の流れが無性に早く感じます。
 川尻一区盆踊り大会は8月15日(金)、ほっとゆだ駅西側の悠々館前で、夜7時から小雨決行で開始するそうです。太鼓演奏の方は毎晩暑い中、ねじり鉢巻きで猛練習をしております。15日の夜はどうぞ皆さん、踊りの輪の中に入ってみませんか……。

2008年8月12日火曜日

帰省


2008年8月9日土曜日

冷えた西瓜食べたいな…

こんなに暑い日が続くと、冷えた西瓜が美味しそうです。欲張って大きな西瓜を買ったら、冷蔵庫に入らなくてたいへんです。でも食べたいな……。

2008年8月8日金曜日

小澤征爾さんが訪れた日


今から六年前の今日は、蝉時雨の暑い夏でした。左草小の卒業生である、西和賀町政策推進室長の平藤節夫さんはキャラバン2002の計画があることを聞いて、小澤征爾さんに真情込めた手紙を書いたそうです。その内容とは「左草小学校が閉校になってしまい子供達の歓声が聞こえなくなってしまい残念です。校歌を演奏して地区を盛り上げて欲しい」というものだったそうです。その手紙が小澤征爾さんの目に留まり、世界的なチェロ奏者であるロストローポーヴィチさんをはじめ、約40名のキャラバン隊がこの左草小学校に訪れ、世界の名曲を演奏披露してくださいました。
 聴衆対象者は左草と下前の学区民に限るというもので、この計画は極秘で進められ当日を迎えたそうです。一年前に閉校となった体育館にその素晴らしい音色が響き渡りました。テレビだけでしか拝見できない世界の小澤征爾さんが、この学校でタクトをとっていることが夢のようだったと思ったに違いありません。



2008年8月7日木曜日

残暑お見舞い申し上げます

日中は強い日差しですが、今朝方は少々寒くなりました。暦の上では今日から秋ということですが、なんとなく月日が流れ行くスピードがとても早く感じます……。

2008年8月6日水曜日

可愛いトマト見つけました!


昨日に引き続き、ほっとゆだ駅前の「湯夢プラザ」の店頭でいいもの見つけました。それは可愛いトマトで、「トマトベリーガーデン」といいます。ハート形のミニトマトで、真っ赤でつやつやしてしています。肉厚でトマト臭さが少なく、糖度は8~10度もあるそうです。何よりも有機栽培ということですから安心して食べられるトマトです。ハート形のこのトマトをいただいたら何となく幸せになれそうな気がします……。そう思うのは私だけでしょうか……。

2008年8月5日火曜日

変わった野菜見つけました!


 スーパーに行くと、水煮したふきが袋詰めされ販売されております。その隣にふきと良く似た袋詰めの商品があります。これが「山くらげ」といって油で炒めるとコリコリした触感で本当にクラゲのようでとても美味しいものです。5㎝ぐらいの長さで鮮やかな緑色した棒状になっており、原型はどういうものなのか今まで考えたことはありませんでした。
 ところがびっくりです。ほっとゆだ駅前の「湯夢プラザ」で「山くらげ」と書いた野菜を発見しました。袋詰めにはなっておりません。ちょうど、春の山菜でウドのようなスタイルです。なぜこれが「山くらげ」というのか店員の方に聞いて見ると、どうやらこの野菜の皮を引き、縦割りしさっと茹でて袋詰めしたものが、店頭に並んでいる「山くらげ」だそうです。思わず、「本当ですか……」といってしまいました。こんな形の野菜だとは想像もつきませんでした。
 この「山くらげ」は中国で300年以上の間、栽培されてきたレタス科の植物だそうです。
乾物にすると17種類のアミノ酸やビタミン・ミネラルが豊富で栄養価がとても高い食材だそうです。ほんとうにびっくりしました……。

2008年8月2日土曜日

蚊取線香


2008年8月1日金曜日

孫作地蔵尊供養祭

 沢内年代記によると今から269年前の元文4年(1739年)の早春のことです。現在、峠山パークランドオアシス館の東側で竹荒沢に樹齢数百年も経つというけやきの巨木があったそうです。
 この木は「ちょうれん玉もく」といい、根元から枝だまで素晴らしい玉もくがあり、お上からも「絶対切ってならぬ」というお達しのありました。しかし、貧窮した生活に困り果てた人々が方々から120名も集まり盗伐したといわれます。この盗伐隊の代表、孫作は34歳で身長は180㎝、背中幅は90㎝という大男でした。
 この巨木に斧を入れたところ、四方に飛び散ったくずは翌日には切る前と同じようにすっかりとくっつき、木の切り口からは血のような真っ赤な汁が流れ出し、「神のたたりが恐ろしい」と言い出す人も出てきました。せっかく切っても木くずは元にくっつくので、切るとすばやく火に燃やし一週間かかり切り倒しました。
 やがて、盗伐のことが人づたえに新町の代官所に知れてしまい、直ちにお召しとりになりました。孫作はかねてから最悪の事態を予想し、皆に対して「万一盗伐がお上に知れても、私が責任を取るから誰も知らぬ、存ぜぬでとうすこと」と決めていたので孫作だけが捕らえられました。代官所でも「私一人の仕業である」と頑張り通したので孫作だけが打ち首となりました。
 この他に秋田方面から人夫として雇われた者が越中畑御番所に通行手形を所持しないことが分かりその責任を問われた御番所頭の猿橋勝左衛門が切腹、また御同心も監視不行届きとして、孫作と共に3人御成敗仰付けられ10月27日に獄門かれられ、7日7夜晒されたといいます。
 また同山の山守は春から秋まで手錠、同肝入湯本の伊三兵衛も手錠、湯田の喜左衛門は津軽の田名部に流罪になりました。そこで地区の人たちは孫作がひとりで皆の罪を背負って亡くなった孫作の首を篤く葬り、地蔵様をたてて後世祀ったといいます。
 湯田ダム建設と共に水没により、地区民とともに隣の和賀町に移転しましたが、昭和56年2月に20年ぶりに帰り、小繋近の峠山に祀られています。昭和56年9月3日に町の有形文化財に指定されました。

 その孫作地蔵供養祭が午後2時から峠山の一里塚近くの「孫作地蔵尊堂」で行われます。